2011年6月29日水曜日

気仙沼市へ(2)

 29日(水)6:00
 プレハブ建ての党救援対策センターに泊まり、市の無線放送(6時と21時に音楽が鳴るんです)に目を覚ましました。

 今日の予報は晴れ、最高予測気温は31℃!

 9:30
 続々と、地元党員の方が集まってきます。まずは私が持ってきた「白い恋人」を食べながら、朝の打ち合わせ。

 秋山市議・千田さんと支援物資を手に、仮設住宅のある鹿折(ししおり)中学校へ足を運びました。

 党が取り組んだアンケートに書かれた要望をもとに、トイレットペーパー・夏服衣類・粉ミルクなどです。






 行く途中に港付近を通るのですが、写真のとおりに想像を絶せる被害が目に入ります。

 石油タンク(?)が横倒しになり、まだ手付かずのままになっています。






 川を遡った大型漁船は、建物をなぎ倒し、そのための被害もあったそうです。









 気仙沼は大きな火災がありましたが、その焼けた自動車などが錆び始め、原型を留めていません。

 物資は喜んで受け取ってもらい、支援金が手に入っていないことへの相談なども寄せられました。

 仮設住宅で、少しずつでも生活が始まっている様子に、ちょっとホッとしながら、これからも生活を考えると心配ばかりが頭を覆います。

 12:00
 地元党員のみなさんと、おしゃべりしながら昼食。暑い日なのでソウメンがうれしい!

「助かった家でも、周りの家がすべて壊れて避難し、“自分ばかりが助かって‥‥”と、いたたまれなくなって家を出た方がいる」

「仮設住宅に入ると“自立”になって、支援を受けられなくなる。避難所なら、食料とか不十分でも生きていられる。どうやって生きればいいと、高齢者に泣かれちゃった」

「新しく入ったアパートでも、水道が通ったのは先週」

「教室が足りなくて、2学年が1クラスで勉強している」

‥‥地震当日も含め、次々と話が出ては止まりません。

これだけの震災で、いまだに被害が続いているわけですから、不安や心配を口にして共有しあうこと自体も大切なんですよね。

 15:40
 千田さんの車のタイヤがパンクし、交換するなどの間、対策本部の留守番をしていると「物資はありますか‥‥」というご家族が。

 ご自宅が津波で流され、お母さん(おばあちゃん)は「いつも思い出してしまうよ」と一言。

 支援物資を受けられないか、関係しそうなセンター等を回られているそうです。

 本当に支援の手を必要としている方々が、多くいます。

 夕張の党組織から支援物資の申し出もあり、ありがたい一方で地元での整理・配布体制も強めないとなりません。

 限られた期間しかいられないことで、何だかもどかしい思いになります。

 【今日の句】 大臣が できて物事 進むやら

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