2012年8月25日土曜日

地方自治体の苦労に応えよ

 今日は石狩市・白老町で演説会だったのですが、会場が暑い! それでも最後まで聞いてくださったみなさんに感謝感謝です。

 弁士は大門実紀史参議院議員に、石狩市では鈴木龍次4区予定候補、白老町では花井やす子9区予定候補とでした。

 それぞれ開会に地元党議員さんがあいさつするのですが、石狩市では水道料金が何と平均20%も値上げするという問題や、白老町では早くも年度予算が足りなくなる見通しなど逼迫した財政状況など、深刻な実態が話されました。

 石狩市の水道料金値上げというのは、来年度から受ける当別ダムの給水単価が値上がりするため。

 ダム建設前の人口増という予測が反したのと、札幌市でも供給を受けないために単価が上がる、というのが背景です。

 値上げを抑えるには一般会計から繰り入れることや、西部広域水道企業団構成の自治体ごとの負担割合見直しなど、その道はあります。

 白老町は経済悪化を背景に住民税などの落ち込みに加え、これまでの地方交付税削減の積もり積もったものが限界にきていることを示しています。

 どの町の課題にも構造的背景があって、国の政策によって左右されてきたことは間違いありません。

 だから「地方分権を」「国に頼らない自立した町づくりを」との主張も出るわけですが、国が「住民のくらしを守る」最低限の責任さえ放棄してきた大きな問題を解決することも大事だと思います。

 悪名高き「ヒモ付き補助金」は実態に合った形で使いやすく、そして地方自治体の財政を確保する交付税はその役割にふさわしく回復させていくこと。

 国と地方自治体のあり方も大きな政治課題ですが、まだ論点整理が進みきってない中で強引に道州制を導入すべきではないとも思います。

 ある町長さんからは「住民生活が苦しいのを目の当たりにする地方自治体は、おのずと福祉にかかる費用も増える現状にある。そうなると雇用対策や産業支援に回す財政もなくなる」との話をお聞きしたこともあります。

 もちろん自治体として努力は必要ですが、どの町にいても安心して暮らし、働ける環境をつくるには国の力が必要な部分がどうしてもあります。

 丹念に実態も聞き、少しでも力になれるような活動をしたいと思います。

 【今日の句】 冷房も 効かぬ熱気が 政治変え

2012年8月24日金曜日

中標津町議選挙の応援へ

 あさって26日投開票の中標津町議選挙で、党公認候補の応援に朝一番の飛行機で駆けつけました。 
 
 12年間、日本共産党の議席がなかった町で、私より若い候補が挑戦しているんです。

 一緒に街頭から訴え、支持者・後援会員に「もう一回り」のお願いをして回りました。

 中標津町は根室管内の中核自治体の一つであり、人口が増えている町でもあります。

 町政革新や議会の活発化を望む声が、多く出されていることがよくわかりました。

 ある支持者の方曰く「選挙となっても、みんな抽象的なことしか言わない。共産党の候補がしっかり地に足つけて訴えている」。

 この方は町のなかでも影響力の強い方だそうで、お話を伺った私の方が励まされた思いでした。

 引っ越した町で地縁・血縁もないなか、立候補を決意した候補も大した人です。

 国会を見れば、また野田政権が選挙制度などで暴走の様相ですが、だからこそスジを通して正していく日本共産党の役割に期待してくださる方も多い、と実感です。

 その願いに、地方でも国政でも何としても応えねば!

 というわけで今日は道庁前の原発再稼働抗議行動には参加できなかったのですが、今週も多くの方が集まったと聞きました。

 今こそ、国民の声が生きる政治に!

 【今日の句】 この町も 新たな息吹 強くなり

2012年8月23日木曜日

元北電社員・水島さんの揺るがない信念

 年に一度の健康診断も、特に問題なし。今年も内視鏡には苦しみましたが、お医者さんのお墨付きをもらって元気に全道をまわります!

 さて昨日の道原発連講演会ですが、講師は元北電社員の水島能裕さん。

 手製の資料には知りたいことがビッシリ書かれ、さらに北電社員だからこそ話せる事実に参加者一同「へ~」との声も!

 北海道で原発なしで電力が足りる、その実情。

 原発稼動は「経営上の問題」と明快!

 納得したのは「原発は、この次に世界のどこかで事故が起きても停めることになる。こんなに不安定で、非効率的な電源はやめることこそ電力会社にとって得のはず」との指摘でした。

 自然エネルギーは非効率・不安定などとの言い分には、原発の稼働率と道内風力発電での稼働率に大差がないことや、「政治的な理由から、適当な地につくられた」という「モニュメント風車」がある実態には驚きました。

 書ききれないほどのボリュームで、生で話を伺うのが一番!です。

 26回目(だったかな)の講演だと話された水島さんは、とても親しみやすく、今度は岩手県まで講演に行くんだそうです。

 元北電社員という肩書きで講演するのは勇気もいるかと思いますが、「原発をやめることは北電のため」という揺るがない信念が、お話から伝わってきました。

 そうですよ、原発ゼロは、国民のため・電力会社のため・日本の未来のため!

 せっかくなので、あらためて集会をお知らせします! ぜひご参加を!

 ●「とめよう!なくそう!原発 道民集会」
  主催:国民大運動北海道実行委員会・道原発連
  日時:9月8日(土)13時~  ※デモ行進は13時30分~
  会場:札幌大通西10丁目

 【今日の句】 少しずつ 分かつ勇気は 明日のため

2012年8月22日水曜日

どの町も、自分の町が日本の中心

 稚内市も暑い! 海から強い風が吹くものの、地元の方が「こんな日めったにない」くらいの暑さでした。

 菅原まこと小選挙区12区予定候補・佐藤ゆかり稚内市議と、商工会議所への訪問・懇談、街頭宣伝などと市内をまわりました。

 道路標識などにもロシア語が記されるほど、ロシア人の姿が目立つ稚内市。

 札幌よりもはるかに近いサハリンとは経済的な交流が続けられ、ロシアがWTOに加盟することから対ロ貿易の期待も不安もあることを、商工会議所では伺いました。

 国の補助事業が切れた後も、地元企業でロシアから研修生を受け入れ、後の人的交流などにもつなげてきた努力があります。

 水産物も豊富な稚内市ですが、ロシアのみならず大消費地となる都市部への輸送にはコストも時間もかかるし、営業も日帰りができないなど地理的条件の苦労も聞きました。

 空路・航路ともに課題を抱える北海道ですが、財政見通しを持ちながら、国の責任のもとで計画的な流通・交通網整備は欠かせません。

 日本地図を見れば東京が中心で、稚内市は最北の地ではあります。

 しかし実際に住む人にすれば、稚内市を真ん中にして、くらしも商売も成り立たせているんですよね。

 農業や漁業の後継者問題も話され、やるべき課題の多さをあらためて実感しました。

 街頭宣伝には暑いなか、支持者のみなさんが多く駆けつけていただき本当に感謝!

 飛行機で札幌へ向かい、夜には道原発連主催の学習講演会に参加しましたが、詳しくは明日に!

 【今日の句】 岬には 並ぶ風車が 発電中

2012年8月21日火曜日

山を守り、命を守る

 宗谷管内2日目は、豊富町からスタート! 菅原まこと12区予定候補と中頓別町・枝幸町とまわりました。

 豊富町では工藤栄光・豊富町町さんや石川岳志・北宗谷農協組合長さんとの懇談、福祉事業所のサロベツ・マイハートさんなどを訪れ、町やくらし・農業の実態を伺いました。

 医師不足に悩む自治体は北海道に多くありますが、豊富町もその一つ。

 首長さんみずから医師確保へ奔走されているのですが、本来なら国が必要なシステムをつくり、世界から見れば少ない医師数も計画的に増やしていくことが必要です。

 しかし実際は「高齢化にともなう自然増1兆円をどう抑えるか」が、社会保障の前提であるかのように、抑制策ばかりが続けられています。

 日本共産党が消費税に頼らない財源策があることも紹介しつつ、国が医療や介護など生活を守ることを一番の仕事とするよう、日本共産党ががんばる決意も述べました。

 移動中の車からは、豊かな山林が目に入り、宗谷管内は自然を生かした生活と文化、産業が広がっていることを実感。

 広がる森林は貴重な資源でもありますが、円高により安い外国産材に押されて国産丸太が売れ残っているという深刻な事態が生まれています。

 北海道森林組合の総会が先日おこなわれ、新たに会長になられた南宗谷森林組合の村上守義組合長さんも訪れて現状を伺いました。

 「農業や水産業のように、林業にも詳しい政治家がもっと必要」「これから多くの山が伐期を迎えるだけに、円高対策や道産材の活用、価格保障などに政治が力を発揮してほしい」とのお話を重く受け止めました。

 道森林組合などが道議員連盟に要望書を出しており、超党派で林業支援策を進める動きも広がってはいます。

 しかし村上会長さんが指摘されたとおり、農林・水産とくらべて、流通も含めて対策が弱いのが林業の分野。

 丸太の関税がゼロになってから、道内では木材加工場も少なくなり「山を持っても赤字ばかり」という状況にもなりました。

 地元木材を使った公営住宅建設など自治体でも努力が強まるなか、少なくとも国がそれを後押しするだけの仕組みが必要だと思います。

 来週に政府交渉をおこなう予定ですが、この過剰在庫の問題も取り上げる予定でいます。

 夜には枝幸町の支持者のみなさんとも交流でき、英気も養うことができました。

 明日は終日、稚内市で懇談・宣伝です!

 【今日の句】 ぬくもりを 山の神から 伝えられ

2012年8月20日月曜日

幌延町・深地層研究センターに行き‥‥

 今日から3日間、宗谷管内を回ります。札幌から特急で、まず向かった先は幌延町「深地層研究センター」=「核のゴミ」地層処分の研究施設です。

 木村けんじ(10区)・菅原まこと(12区)の両小選挙区予定候補に、地元の鷲見悟町議とともにセンターを訪れました。

 原発から出る高レベル放射性廃棄物を、ガラスに溶かして固める(ガラス固化体)→ステンレス製の容器(キャニスター)に入れる→地上で30~50年ほど冷やして鋼鉄製の容器(オーバーパック)にくるむ→さらに特殊な粘土(ベントナイト)にくるむ→地下300mより深く埋める、というのが今の日本の方針です。

 写真で大きさがわかるでしょうか、粘土でくるんだ状態で四畳半ほどの大きさになります(写真では白い箱状部分がベントナイトです)。

 自然界と同じレベルまで放射線量が下がるには、ウラン鉱石と同じになるまで1万年、安全なレベルになるまで10万年、の保管が必要です。 

 北欧の処分場の実態を描いたドキュメンタリー映画をご覧になった方もいると思いますが、日本ではその舞台が幌延町になるのではないか、との疑念が地元では消えません。

 現在は、北海道・幌延町・日本原子力研究開発機構の「3者協定」で、「放射性廃棄物は持ち込まない」こととしています。

 道民・住民の歴史的な反対運動の前に、つまり「研究だけ」と妥協したうえでの現状なのですが、処分場の誘致へ期生会準備の動きもあると一部報道が見られ波紋を広げています。

 文科省の記録には、幌延は「地下水がだぶだぶ」していて適さない、との専門家での話し合いがあったとのこと(「北海道新聞」4/18付)。
  
 地震も多くない地域とされてきましたが、隣町の中川町で先月、立て続けに震度4の地震が発生していますし、幌延の近くでも断層があるとされています。

 そもそも「地震が起きて活断層だった」とわかる断層もある、というのが専門家の話だけに、実は見つかっていない活断層も日本であれば少なくないはずです。

 そこで幌延に埋設し「安全に保管」とは可能なのでしょうか。

 元をたどれば「核のゴミ」処分方法も決めずに、原発を進めてきたことが原因であるのは言うまでもありません。

 再処理工場もできないまま六ヶ所村や、各原発の貯蔵プールには多くの使用済み核燃料が保管されています。

 電事連によれば全国17原発貯蔵プールの容量は計2万トンで、平均貯蔵割合は69%と言いますから、すでに13,800トン!
  
 科学者の間でも埋設処分とまとまらず、科学性も住民合意もないまま、幌延を「核のゴミ捨て場」にすることは認められません。

 そうなれば地上保管を進めるか、新たな処分方法の研究の発展にゆだねるか、となるのでしょう。

 何より、これ以上「核のゴミ」を増やさないためには、再稼働せずに「原発ゼロ」の政治決断こそ急ぐべき!

 電力会社や原発推進の人たちは、日本が負の遺産を背負っている事実を、どのように受け止めているのでしょうか。

 以前に北海道電力へ要請した際には「研究されている最中」と、何か人ごとのような回答に腹立たしさも覚えました。

 再稼働を決めた野田総理は、きっと「核のゴミ」なんて深くとらえていないでしょう。

 幌延町・天塩町・遠別町と街頭宣伝にも取り組み、木村けんじ予定候補と「原発ゼロ」の政治決断を今こそ!と訴えました。

 【今日の句】 子や孫に 残すはサロベツ 大原野

2012年8月19日日曜日

野呂榮太郎の、情熱の原点を知った

 以前のブログにも書きましたが、領土問題をめぐって双方が挑発の応酬をするのでなく、理性的な対応を取るべきだと思います。上陸しあったり、外交ルートの話までも閉ざすようでは、一向に解決が見えてこないのではないでしょうか。

 今日は札幌南区で後援会のまつり、西区で地域演説会などに回りましたが、どちらも領土問題での党の考え方については真剣に話を聞いてくださいました。

 双方に、一部の人たちが挑発的な対応を取ったにしても、政府レベルでは冷静な対応をすべきだと思います。

 その際に、みずからの国が領土だとする根拠を、くりかえし国際社会に訴えることが必要だとも思います。

 さて、まつりでは日本民謡も聞き、交流も深め、札幌を出た後は岩見沢市へ。

 党南空知地区委員会の、党創立90周年記念祝賀会に参加のためです。

岩見沢市から副市長さんをはじめ来賓の方も多くお越しいただき、私からも感謝の言葉を述べました。

 空知の党の先輩と言えば、長沼町出身の野呂榮太郎!

 小学2年のときに関節炎で片足を切断し、その障害ゆえに公立学校への入学を認められなかったのは有名な話。

 旧制北海中学・慶應義塾大学と進み、卒業論文として書いた「日本資本主義発達史」は日本経済学での大きな指針ともなりました。

 党中央委員長として活躍中に、スパイによって特高警察に逮捕・拷問を受けたことをきっかけに、33歳の若さで亡くなりました。

 野呂の情熱は、障害を負ったことが契機だと私は思っていたのですが、長沼町の副町長さんから聞いたお話に「なるほど!」と思いました。

 野呂の家も開拓農家だったわけですが、まだ基盤整備も十分でなく、旧夕張川の氾濫には苦しめられていたそうです。

 川をはさんで長沼町と南幌町が位置していて、水害が起きそうになると両町民が対岸に並ぶとのこと。

 相手町の方へ川が氾濫すると、自分たちの町が助かる--そこで対岸通しでにらみ合いのようになり、実際に相手町へ水が流れると万歳をして喜んだ姿もあった、とも。

 しかし、相手町だって困るに違いない--野呂がその光景に疑問を抱き、平等な社会にならないものかとの情熱が、ここで育まれたのではないか、とのお話でした。

 戦前から、このように心やさしく、公正な社会を願って党の先輩たちが活動していたことに、あらためて深く感銘しました。

 いま私は、この先輩たちの思いを継げているだろうか。

 いえいえ、継いでいかなければならないんです!

 あっちこっちとフラフラする政治家も多いなかで、ぶれずにスジを通す私たちが頑張らないと!と強く思った1日でした。

 【今日の句】 野呂ならば 総理に何て 言うだろう