2013年5月18日土曜日

被爆国・日本なのに、なぜ核兵器廃絶に後ろ向きなのか

 国民平和大行進が札幌入り! 広島・長崎へ、原水爆禁止世界大会に向けて日本各地から歩きとおす56回目の行進です。

 核兵器廃絶は、すでに国際的課題になっているのに、なぜか被爆国・日本が後ろ向き。

 2年後には、核不拡散条約(NPT)再検討会議が開かれます。

 その第2回準備委員会で、多くの国からの共同声明提案がありました。

 そこに「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われないことは人類生存の利益」との文章が入っていました。

 どの兵器だって使っていいものではありませんが、特に核兵器は、その残虐性からも「いかなる状況下」でも使ってはダメだと思います。

 それなのに。

 日本政府は、その「いかなる状況下でも」の部分を削るよう求めました。

 それは他国に受け入れられず、日本は共同声明に署名しませんでした。

 つまり、核兵器は使ってもいい場面があると、日本政府は認めるってこと?

 被爆国・日本で、今も多くの被爆者が苦しんでいるのに。

 東京電力・福島原発事故は、いまも収束していないのに。

 国際社会は、核兵器廃絶に向けた努力を強めてるのに。

 よく自民党などからは、アメリカの「核の傘」にいるから、日本は守られていると聞かれます。

 しかし文明社会として世界が発展してきたなか、核兵器を使う場面などあるのでしょうか。

 核兵器を持って脅す、というやり方は、それこそ今の北朝鮮のように「それなら、こっちも核を持つ」と応酬になってしまいます。

 朝鮮半島の非核化とともに、国際社会でも非核化に向けて進まないと。

 今日の行進は「いいね!」「今でしょ!」など交えたアピールで、青年たちや工事現場からの声援もありましたよ。

 【今日の句】 もう散るの 風と桜と 春が行き

日本の民主主義も問われている

  参院選が近づき、事務所も慌しくなってきました。私もチラシ作り、選挙本番の宣伝カーの割り振りなどを一緒に考え、夜は道庁前へ。開花した桜に、心がなごみます。

 ニュースでは、橋下発言に呼応して、西村真悟衆議院議員も暴言と報じられていました。

 なになに、と見ると--。

 「韓国人に『慰安婦』と言ったらいい」!?

 撤回し、離党届も出したそうですが、あきれたというか、何というか。

 維新の会は「女性の基本的人権を尊重する」のが基本方針と、言っていたはず。

 離党どころか国会議員としての資格が、問われているんじゃないですか。

 民族蔑視・侮辱は、排外的ナショナリズムの裏返し。

 国会議員の質も問われますが、日本の民主主義も問われていると思います。

 こういう発言が野放しになれば、日本国民は認めてる、となっちゃう。

 道庁前行動では久しぶりに、マイクを握りました。

 「今の政治家は、子どもたちに向けて恥ずかしい」

 原発推進と合わせての話でしたが、心から訴えたかった。

 大人が大人として、歴史に正面から向き合い、民主主義を守り、子どもたちの未来を守る責任を!

 【今日の句】 妄言の 維新は過去に 戻りけり

2013年5月16日木曜日

泊原発は、大丈夫と言い切れるのか

 敦賀原発は直下に「活断層」があると認定され廃炉が濃厚、もんじゅは点検1万件が不適切で再開中止‥‥さて北海道では、泊原発はどうなのでしょう。

 泊原発から15km沖に活断層があると、研究者から指摘され続けてきました。

 また敷地周辺に破砕帯があるとの指摘もされ、これは調査も必要となるでしょう。

 北電のストレステストによれば、北海道南西沖地震の規模の地震が近くで起きたら、ガル数からして耐えられないのではないか、との懸念があります。

 敦賀原発・日本原電にしても、活断層調査が遅いと規制委員会から指摘されていて、何か不都合なデータがあるのではと疑いたくもなります。

 北電にしても安全性を最優先にするなら、研究者の指摘を受けたデータなどとの突き合わせも当然すべきでしょう。

 そこが明確でないから、国民の原発への不安は増すことになるのです。

 敦賀だけでなく、敷地内を活断層が走っていると調査対象になっている原発が5つあり、そもそも地震大国の日本に原発立地可能な地域など、あるのでしょうか。

 天災にしても、人為的なミスも、いつ起こるかわかりません。

 もちろん、どんな発電所でも事故は起きるでしょうが、原発は被害が特異なのです。

 止めていても核燃料は残っているし、万全な安全対策が必要です。

 こうして見ると、原発は不安定な存在であり、高コストな発電方法ではないのでしょうか。

 今日は釧路から札幌へ移動し、夜には全札幌の党の決起集会。

 参議院選挙勝利へ、私が「団結がんばろう」の音頭を取って、心一つに力を尽くすことを確認しあいました。

 【今日の句】 撤回を せずに反省 などあるか

2013年5月15日水曜日

うたごえは明日への力

 釧路市での7中総学習会に報告者として参加した後、釧路の合唱団でお世話になった方のお宅で、夕食をごちそうになり戻ってきたばかりです。

 釧教大大学院に在籍中、合唱団「アンラコロ」にいたのは15年前。

 うたごえに励まされ、癒され、力をもらってきました。

 「みんなでうたう」ことは、理屈ではない、心に響くものがあります。

 2ヶ月に一度、喫茶店をお借りして「うたごえ喫茶」をやっていて(何と私も司会!)、初めは恥ずかしがっていても、最後は会場が心一つになるんですよね。

 そうそう、仙台の学生時代には駅前の「バラライカ」という、うたごえの店でもアルバイトをしていました。

 若者の馴染みの曲など、まったくなくて、最初はとまどいました。

 しかし歌詞の意味、そこに流れる生活や仕事の苦しみや喜び、人と人とがつながる喜びなどを学び、北海道に渡っても同じようにアンラコロへ足を運んだということでした。

 うたが特別に上手いわけでもない、私。

 それでも温かく仲間となれる雰囲気が、うたごえにはあります。

 そのような話を交わしながら、少し一休み。

 うたごえを明日への力に、がんばります。

 【今日の句】 あの党の ような男性 ばかりじゃない

2013年5月14日火曜日

彼らの価値観は、国際社会で共有されない

 昨日の橋下氏の発言を、維新・石原氏も大阪・松井知事も弁護とは恥ずかしい。国際問題にまで発展しつつある事態も、彼らは「問題視する方がおかしい」と言うのでしょうか。

 彼らの価値観は、アジアや国際社会では共有できません。

 本音の議論が必要だと言いますが、それなら、なおのこと彼らの主張は受け入れられない。

 自分の妻や子が辱めにあっても、彼らは「仕方ない」とでも言うのか。

 「そこでつかまった、お前のほうが悪い」とでも、女性に責任転嫁するのでしょうか。

 「慰安婦」とされ身をもって訴えてきた女性たちは、すべて作り話とするのなら、これまでの政府見解を否定することになります。

 国際社会で日本が認められた「出発点」を、ことごとく否定するつもりなのか。

 他国から見れば「古い日本」が復活した、となるでしょう。

 どれだけ彼らが、アジアの人たちの、そして多くの女性の心を傷つけているのか、わからないのか。

 腹立たしさばかりのブログになってしまいましたが、これを政党だけでなくマスコミも国民も、きちんと正していかなければいけないと思います。

 そういう価値観こそ少数派なのだ、と。

 会議や作業続きの1日で、時折見えてきた桜に心がなごみます。

 心穏やかに、毎日を過ごしたいものですが‥‥。

 【今日の句】 登庁も せずにつぶやき ああ市長

「慰安婦」も「女性手帳」も、女性蔑視の根っこは同じ

 「軍の規律維持に、当時は慰安婦は必要だった」「米軍はもっと風俗業の活用を」--大阪・橋下市長の発言を、どう思われますか?

 米軍司令官は「凍りついた苦笑い」だったそうですが、多くの方が同じように凍りつく思いになったのでは。

 歴史認識だとかの前に、人権感覚を疑います。

 戦争の時には、性利用や性暴力も認められる?

 そんなことを世界で語ったら、笑い者か政治家失格の烙印を押されるんじゃないですか。

 過去に他国でも慰安所の存在があったとしても、今の時代にそれを是認していくことは、時代にも国際議論にも逆行しているのでは。

 国政を担う代表が、このような発言をして世界に発信されているなんて、恥ずかしいし情けない。

 明らかに党首や市長の資格に、かかわります。

 それが維新の公式見解であり、大阪市長の見解なのか、と。

 一方で、女性を「モノ」扱いしているのは、政府も同じに見えます。

 「女性手帳」

 女性を対象に、30代前半までの出産を促す医学的根拠を周知するとのことですが、少子化を防ぐのが目的なら、手段も方法も違う。

 出産は女性1人でできるものでないし、男性が共同して育児に関われる環境こそ政治がつくるべきでしょう。

 それを抜きに、単に「若いうちに産みなさい」って、私が女性なら「大きなお世話」。

 出産・育児で仕事を辞めることを迫られたり、様々な事情で子どもを持てなかったりする女性がいることへの、想像力はないのでしょうか。

 出産も含めて、自分の人生を自分で決めることを、女性には認めないのでしょうか。

 慰安婦問題にせよ、女性手帳にせよ、根底には女性蔑視・軽視が根付いているように思います。

 このまま認めておくわけにはいきません。

 【今日の句】 妻や子へ 侮辱してると 気づかぬか

2013年5月13日月曜日

子どもたちと原発ノー!「未来行進」

 札幌・平岡の梅林公園で宣伝と後援会員さんとの梅見会を終え、家から子どもたちを連れて「ぼくとわたしの未来行進」に、私も駆けつけました。

 風が冷たく、梅林公園でも梅はもう少し先、という感じ。

 そんな日にも200人以上のパパ・ママ・子どもたちが、大通公園に集まりました。

 この「未来行進」は、金曜日・道庁前行動で結びついたパパ・ママ有志で「ファミリーで気軽に取り組めるものを」との思いで実現しました。

 準備などで苦労することもあったでしょうが、これだけの子どもたちの笑顔を見れると、それだけで楽しくなってきます。

 我が家は、上の子は最後まで歩き通しましたが、下の子は昼寝時間と重なりベビーカーでグーグー‥‥。

 アピールタイムもあって、参加者からは「子どもたちに危険な原発は残したくない」との話がありました。

 きっと参加した親御さんは、そういう思いで集まったんでしょうね。

 再稼動すれば、また増える処分できない核のゴミ。

 いつ地震・津波、人的ミスで事故が起きるかもわからない。

 ほかの事故と違い、事故現場に近づけないため収束できない危険。

 しかも現場近くだけでなく、何十km、何百km離れても被害が及ぶ可能性。

 被ばくによる影響は、先の世代にまで及ぶ恐れ。

 そして、今も続けられる避難生活に、収束していない福島原発!

 これらの事実を前に、それでも原発に頼ることのリスクの方が大きいのではないでしょうか。

 感情の問題でなく、次世代への責任の問題ととらえたい。

 経済的問題があるのなら、別の道を検討することも大人の責任ではないでしょうか。

 行進後は、大通公園でトウモロコシを買って、娘と2人と分け合って食べました。

 こういう時間を、守っていきたい。

 何を大切にするべきか、政治にも社会的にも、しっかり考える時だと思います。

 【今日の句】 美しい 国というなら 原発ノー