2014年3月15日土曜日

あの時代の、多喜二から何を学ぶか

 1928年3月15日は、日本共産党はじめ労働組合・農民組合などの活動家1600人余が検挙された「3・15事件」の日。時代の1つの転換点としての日、です。

 毎年、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟北海道本部が事務局になり、日本共産党道委員会も共済団体として「つどい」を開催しています。

 今年は私が主催者あいさつを務め、記念講演はフェリス女学院大学の島村輝教授。

 講演の題は「『組曲虐殺』から考える治安維持法と現代~小林多喜二と井上ひさしを結ぶもの~」なのですが、島村先生は、冒頭から安倍政権がどのような暴走を続けているかについて、しばらくの時間をとって話されました。

 というのも、テーマが「安倍暴走政権下の今日の日本で、‥‥変革の主体形成という問題を、多喜二文学からどう読み取るか?」にあったため。

 「変革の主体形成」は多喜二自身が考え続けたテーマであった、と島村先生。

 みずから拓銀に勤めながら、小作争議を支援したり、ばれないように選挙演説を吹雪の日に倶知安まで行っておこなったなどのような勇ましい活動とともに、多喜二は人間の葛藤を見つめていた。

 例えば「党生活者」。

 私も好きなこの小説には、「笠原」という女性を、いわゆる「活動家」の目線で批判している文章が盛り込まれています。

 この点を巡って文学界でも論争はあったのですが、島村先生は「多喜二は『犠牲』と『人権』の葛藤をめぐって、プロレタリア文学としてのまさに『冒険的』な試みをしようとしたのではないか」との結論に達します。

 ノーマ・フィールドさんや小森陽一さんの「解説」などでも、主人公の「私」への批判・告発がされている叙述があることも指摘されています。

 多喜二が、主体形成のなかで何を考えていたか--今の時代に引き寄せて、考えなければと思いました。

 当時と今と、似通ったところがあります。

 関東大震災と東日本大震災。

 治安維持法と秘密保護法。

 また繰り返される、東京オリンピック。

 政権の右傾化。

 今年の「3・15」を考えるうえで、多喜二が何を考え、いまに何を引き継ぐか、とても大事なこと。

 そして、世論を多数にしていくために、必要なことを実践すること。

 組織の責任ある部署にいる者として、今日の講演を重く受け止めました。

 夜には「ブラック企業問題を考えるシンポジウム」もあったのですが、これは明日にでも!

 【今日の句】 暴走は 権力側から 進むもの

2014年3月14日金曜日

知事は、この道民の声を受け止めて

 朝に道庁に行って「原発のない北海道の実現を求める『全道100万人』署名」の提出に立ち会いました。道民9人に1人の割合となる638,666筆です!

 私は安保破棄北海道実行委員会の代表委員という立場で参加しましたが、この署名は「さようなら原発」北海道の呼びかけ人5氏(倉本聰・雨宮処凛・西尾正道・小野有五・麻田信二)を筆頭に、団体では安保破棄北海道実行委員会のほか平和運動フォーラム・ほっかいどうピースネットの共同で取り組んできたものです。

 目標の100万には届きませんでしたが、呼びかけて実質9か月でこの規模ですから、相当の民意といっていいと思います。

 (ご協力いただいたみなさん、ありがとうございました!)

 それだけの民意ですが、残念なことに公務のため高橋知事は要請に参加されず。

 ならば副知事と思いきや、それもかなわず。

 あらためての要請は、主に小野さん・麻田さん・西尾さんから話されましたが、どうも道としての主体性が見えない回答だったと思います(これまでも、そうでしたが)。

 昨晩も夜中に、中国・四国地方で大きな地震がありました。

 現地では「南海トラフ地震が来たか」と思えるほどの揺れだったようです。

 すぐに原発のことが気になるわけで、地震が起きるたびに何度このような思いをしてきたことか。

 仮に、フィンランドのような地盤が固いところに原発や処分場を立てるというなら言い分としては理解しますが、日本のようにプレートがぶつかりあう地震多発地帯で原発を持つことが、本当にいいのでしょうか。

 北海道は再生可能エネルギーの宝庫であることは、北海道庁だって認めているところ。

 条例でも「原発は過渡的」エネルギーと位置付けているのなら、今こそ原発ゼロへと足を踏み出す時だと思います。

 今日は道庁前行動のあった日ですが、どうしても仕事が山のように(まだ事務所にいます)‥‥でも、心は1つですから!

 【今日の句】 春風を 北海道から 吹かせたい

2014年3月13日木曜日

今回の議論も平行線でしたが‥‥

 道原発連として、北電交渉をおこないました。今回の要請項目は、①電気料金の値上げ、②泊原発の再稼働、③2月に起きた労災事故への対応、についてでした。

 簡単に北電の回答をまとめると--

 ①料金引き上げの検討を表明せざるを得ないことは申し訳ない。火力発電の燃料費、他社からの購入などがあり、社でも300億円近い効率化を進めたが1200億円ほどの経常損失。前回の値上げも、他社に比べれば最後になるほどコスト削減もはかったが、現状では法定準備金も下回る。コスト削減だけでは吸収できず、安定供給にも支障をきたす恐れがある(ために引き上げの検討表明となった)。

 ②適合性審査に出して半年が経ち、資料もそろえるなど努力して規制委員会からも一定の評価を受けるようになった。電源の安定供給・ベストミックスからも泊原発の再稼働は必要。

 ③労災が起きればプレス発表をしてきている。労基署からは手順の明確化と、リスクマネジメントについての指摘を受けている。安全衛生委員会のもと、再発防止に努める。

 --という主旨の回答だったかと思います。

 ①②については、いつもどおりの平行線の論議となったわけですが、③では建設現場では元請会社としての責任が問われるのであり、事故の責任の所在についての話となりました。

 福島第一原発などは典型的ですが、構内作業員は最も危険な環境で働いているわけであり、原発の是非とは別に絶対的に安全が確保されなければいけないはずです。

 東電の場合は下請け丸投げ的な状況も告発があったわけですが、法律で定められる以上に、北電でも本社としての責任を重くもってほしいと私個人は思っています。

 それが労働意欲の安定と向上につながるんですから。

 もちろん作業の中身も、再稼働のためでなく廃炉のためと、なるように。

 さて、一方で原子力規制委員会では川内原発の審査が優先され、再稼働の一番手として有力だとも報じられました。

 技術上の安全確保ということでなく、福島事故が収束せず原因もわからず、全国で原発周辺自治体での避難計画もできておらず、世論は原発ゼロが多数であるなかで、どうして再稼働が容認できるでしょう。

 これで事故が起きた場合、誰が責任を取るのでしょう。

 今日の北電との交渉でも「事故が絶対起きないとは言わないが、起きないようにやれることをやる」という回答がありました。

 「事故が起こり得るので、いざというときは住民のみなさんも覚悟をしていてください。そのために今から避難準備などもしていてください」と言うのなら、まだ言い分としては理解できます。

 しかし過酷事故を「起きないようにする」としても、いま避難計画などもないなかで、再稼働を進めることが本当にいいのか。

 そもそも、これだけ高リスクで、現実に事故による被害が拡大しているなかで、原発という選択を続けていいのでしょうか。

 鹿児島の話ではなく、1人ひとりの問題として、考え話し合い世論を広げながら、行政などへも働きかけたいですね。

 【今日の句】 人事(ひとごと)に したら時代は 繰り返す

この国は、国民を使い捨てるのか

 よりによって震災が起きた日に、こんなことを閣議決定することもないでしょう。労働者派遣法の改悪案=生涯ハケンの可能案!

 右をご覧いただければ、一目瞭然。

 臨時的・一時的という派遣労働の大原則をなくして、正社員を派遣社員に置き換えが可能となります。

 多くは安定的な雇用を望んでいるのに。

 福島第一原発では、多重下請けのもと、派遣会社の違法性も指摘されているのに。

 5年前の「年越し派遣村」を、もう政府は忘れたのでしょうか。

 というか、自民党政権に解決を求めるほうが間違ってる、ですよね。

 この改悪で喜ぶのは、人件費削減を猛烈に進める一部大企業でしょう。

 仕方なく派遣社員として勤めている人も、経験を積んで安定的な正規雇用をと願っているはずなのに。

 同じ仕事をして、同じ責任を負って、なのに待遇が違うって、普通に考えたらおかしいことですよね。

 どこまでも大企業優遇の自民党政治に、ガツンとぶつかっていかなければ!

 【今日の句】 国民を 使い捨てるか この国は

2014年3月12日水曜日

今日ぐらいは思いを吐き出して

 1年に一度くらいは、私だって思いのたけを書く日があってもいいでしょう。私だって忘れられない、3.11なのですから。

 午後2時46分は、札幌駅で人と面会中。

 自分が目まいでも起こしたのかと思ったら、何やら全体が揺れている感じ。

 しばらくして、臨月を迎えた妻から電話。

 「地震で宮城は津波10mだって!」

 えっ、としか返せずに事態を飲み込めなかった私。

 携帯で連絡が取れた父は「これから(仕事で出ていた)母さんを迎えに行く」。

 上の妹は「いま1階に津波が来たけど大丈夫だから」。

 どちらも、それから後は携帯がつながりませんでした。

 テレビで荒れ狂う津波を見て、何度も出てくる「壊滅的状況」という言葉に、想像もつかないほどの恐怖感を覚えました。

 夜になっても続く緊急地震警報と余震に、もうやめてくれ、と何度思ったことか。

 自衛隊が映したという、気仙沼市で火災が起き町が赤々と燃えている映像には、本当に全身から血が引いていく感覚でした。

 父は、母は、妹夫婦は、親戚は。

 何度かけてもつながらない携帯、停電だから当然つながらない固定電話、定期的に送ったメールにも返信なし。

 その晩は眠れず、連絡が取れる県内の親戚に連絡が取れ、無事を確認できたのが3日後。

 無事を確認できたと叔母は電話口で泣き崩れてましたが、目の前で確認していない自分にとっては半信半疑でした。

 それから3日後、携帯に下の妹から、そして父からと連続して携帯に電話が。

 良かったと思いつつ、素直に喜べないんです。

 多くの方が命を落とし、行方不明の方もいて、家も車も漁船も何もかも失くしてしまった。

 その現実を前にしたら、北海道にいる私だって素直に喜んでいいのか、わからなかった。

 我が家の2人目が生まれ、少し落ち着いてから石巻へ行きました。

 ショック、としか言いようがない。

 初めて映画を見た岡田劇場がない。

 たくさんのオモチャが並ぶ、夢の場所だったサルコヤも波にぶちぬかれ。

 嫌な臭いを出していた製紙工場は、動くそぶりもない。

 日和山から見えた風景は、町が「グチャグチャになった」ような風景に一変。

 何もできていない自分が、また悲しく感じられたのです。

 被災地ボランティア以外にも、被災者を支える活動があると頭ではわかっていても、です。

 今日、苫小牧で講演会を済ませて車で帰る途中、NHKラジオを聴いてきました。

 さとう宗幸さんの青葉城恋唄が流れてきました。

 たぶん多くの宮城県民は「♪広瀬川~」と口ずさめるだろう曲です。

 歌詞に「思い出は 帰らず」とあります。

 何を私は、失ったのだろうと考えました。

 北海道に住んでいる今、家も家族も失ったわけではない。

 遠戚を亡くしましたが、父母・妹とも元気です。

 それでも3.11が近づくと、自分が何か1年間してきたんだろうか、と嫌悪感に近い感情が存在するのに気づくのです。

 1年目より2年目、2年目より3年目。

 それは被災地で、3年経ったことで矛盾が溜め込まれてきている現状に、符号するのかもしれません。

 (ちなみに精神的に落ち込む、などの状況はありませんので、ご心配なく)

 素直に喜べない、素直に笑えない、感情をガマンする。

 多くの被災体験をした方に、共通してきたことなのではないかと思います。

 それは、北海道にいる私にもわずかながら、あったのかなと思います。

 特に福島で、放射能汚染に悩まされ、残った人も避難した人も、私以上の苦しみや葛藤の真っ只中にいるんでしょう。

 そう考えるといまだに、どんな言葉から話し始めたらいいのか、わからないのです。

 仮設住宅と言ったって、プレハブですよ。

 雪が降らない石巻とは言え、冬は寒いに決まってますよ。

 それでも3年もガマンを続ければ、ご近所で顔なじみにもなるし、あきらめに近い感情も生まれてくることもあるのでしょう。

 ボランティアは無力ではないし、私も現地に行って、やれることはたくさんあると実感してきました。

 やれることを日本全国で、やっていくのしかないのかな。

 何より政治が、やれることをやってるんでしょうか。

 何で生活が成り立たないのに、消費税増税?

 何で健康状態が悪化する人もいるのに、受診負担を増やすの?

 被災者と党の奮闘で要求が前進しているものはあるし、福島では原発労働者を励ます連帯行動が生まれていることにも、胸を熱くしました。

 足を踏み出す人がいれば、全力で応援する。

 足を踏み出せずに苦しんでいる人にも、全力で支援する。

 何万人とか何%とか、数で復興を見るのでなく、1人ひとりが心から笑える状況になれるようにすることを、私は復興の基準に思いたい。

 私は私の持ち場で、やるべきことをやりきる、ことなのですよね。

 これだけ吐き出さないとスッキリしない、のです。

 被災・避難当事者のみなさんは、もっと吐き出したいことがあるのでは。

 「がんばろう東北」ではなく「がんばってきた東北」の1人ひとりに寄り添う、その気持ちだけは失わないようにしたい。

 あらためて直接の震災と、その後に亡くなられた方々に、心から哀悼の意を表したいと思います。

 長文を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 【今日の句】 くよくよと するなと声が 未来から

2014年3月10日月曜日

被災した子どもたちのサポート体制を

 目が覚めたら驚きの積雪! 札幌は29cmだそうで除雪も追いつかない道を、2歳の息子を抱っこして保育園まで送る道のつらいこと‥‥まだ春は、もう少し先でしょうか。

 珍しく保育園から去る時に息子が私から離れたがらなかったのは、抱っこし続けて愛着が生まれたからか‥‥。

 そういうこともあったからか、被災地の現状を伝える報道などでも、子どもたちのことに目が移りがち。

 特に震災で親を失くした子や、原発事故で家族バラバラになった子、放射能汚染に気をかけてきた子などが、とても気になります。

 どんな小さな子どもでも、周辺の空気を読んでガマンをするもの。

 震災のショックにも耐えて、しかし抑えこんできたものが噴き出してくるのが3年、と言われます。

 阪神・淡路大震災のときも、そのような子どもたちの不安を受け止めるための努力がなされたと聞きます。

 まわりの大人だって余裕はないでしょうが、せめて行政・政治がサポートできる体制をつくるべきだと思います。

 被災地には全国の自治体から職員が応援に駆けつけていますが、まだまだ足りない。

 被災者や子どもたちのニーズを考えたら、国が全面的な体制構築へもっと力を発揮できないか、と思うのです。

 そのような姿勢は、子どもたちに伝わっていくのですから‥‥。

 【今日の句】 私とて 立派な大人じゃ ないけれど

2014年3月9日日曜日

3年という時間の重み

 震災・原発事故から3年を控えて、この土日は催し物がたくさんでした。被災日はもちろんですが、被災者・被災地支援などが日常的に進めばなぁ‥‥とも感じます。

 それには民間だけでなく、政治の責任が大きいと思います。

 安倍首相が福島県で「復興が前に進み始めたことを実感」とコメントしたようですが、前にも進めない生活をしている人が多く残されていることこそ、コメントの中心に置いてほしい。

 もちろん復興へ向けた努力をしている地域も方々もいるし、そのための応援を政府がおこなうことは当然だと思います。

 だけど、だけど。

 昨日、注文して届いた写真のDVD。

 「原発をなくすいわき市民の会」作成のものですが、今だ帰還できない方々の実態、収束作業にかかわる労働者の実態、その労働者を励ます活動‥‥など、リアルな福島の状況が伝わってきます。

 ぜひ、ご覧いただきたい!

 まだ事故は収束していないどころか進行中。

 いろいろと口に出せないことが、避難者も残った方も、東電社員でも下請け会社で働く人も、あるんだと思います。

 それを線引きせず、一部の人や企業だけが儲かる仕組みではなく、きちんと政治が責任を負う。

 このDVDを、青年たちの集まりで紹介したら食い入るように見ていました。

 青年たちは、多くの方は、政治のウソを見抜いています。

 そこに新しい社会をつくる力も蓄積されてきていると思います。

 原発被害者のみならず、仮設住宅で割り切れない思いを抱えたまま住まれている方もいるでしょう。

 自分に何ができてきたのか、あらためて考え直すと心が痛みます。

 現地に行くことだけが支援の姿ではない、と頭ではわかっていても。

 私は私の持ち場で、ベストを尽くすことしかないのでしょうが‥‥。

 まずは原発再稼働や新増設などを止めないといけないし、被災地・被災者優先の予算に変えないといけないでしょうし、北海道でも心ひとつに被災地と連帯する世論をつくらないといけないし。

 3年という時間の重みを、ブログを書きながらつくづく感じています。

 【今日の句】 なきものに するな被害は 続いてる